

ピアノ講師紹介
松岡 美絵
― ピアノと共に歩んだ人生 ―
私がピアノを始めたのは3歳。ピアノ教師である母のもと、幼い頃から母のレッスンを間近で見聞きし、自然な流れで鍵盤に手を置くようになりました。
母は私を"生徒さんの実験台"として、通常の2倍、時には3倍の教材を同時進行で与えました。毎日がレッスンですので、教材はトントンと進みます。
ヤマハとカワイ、両方の音楽教室を経験し、母の手ほどきを受けながらヤマハシステム講師の先生のもとへ個人レッスンにも通いました。しかしこの頃はまだコンクールとは無縁で、スイミングや公文、友達との外遊びも欠かせない小学生でした。
宝木多加志先生との出会い
引っ越しを機に、母の恩師であり福岡の名教師、故・宝木多加志先生のレッスンへ。毎週、車で1時間かけて通う日々が始まります。初回のレッスンで母は「なぜこんなにのんびりとやっているの?」と叱咤されましたが、別の側面から見ると「ひときわ丁寧な指導を受けていた」のかもしれません。
レッスンは一気に厳しさを増し、宿題は倍増、曲の難易度も急上昇しました。最初は驚きましたが、新しい挑戦に胸が躍り、私は意気揚々と練習に取り組むようになりました。そこからは毎年数回のコンクール、発表会、グレード試験と、生活の中心は完全にピアノとなっていきます。
全国大会と猛練習の日々
特に思い出深いのは、PTNAピアノコンペティション。毎年全国大会に出場し、終わった後にディズニーランドに行くのが恒例の楽しみでした。小学校5、6年生の頃には、1日8時間練習する日もありました。
この時期から、後に桐朋学園大学で師事することになる二宮裕子先生のレッスンを受け始めます。アメリカから帰国して間もない先生の奏でる音は、透明感と優しさに満ちていて、私の心を一瞬で虜にしました。
二宮裕子先生のレッスン
中学生になると、生活はますますピアノ中心に。月に1回東京へ通い、二宮先生による長時間レッスンを受け、加えて御木本澄子先生のフィンガートレーニングにも通いました。飛行機の中では常にトレーニングボードを触っていた記憶があります。
宝木先生からは東京やパリへの進学を勧められましたが、私が選んだのは下関のミッションスクール・梅光女学院音楽科。毎朝の礼拝で響くオルガンの音色、先生方の深い愛情に包まれた3年間は、今も私の音楽観と人生観の根幹を成しています。定期演奏会や公開レッスンなど、すべての行事に参加し、多くのステージ経験と自信を積みました。
卒業後しばらく経った後にもお声がけいただき、ウィーン楽友協会「Musikverein」での演奏機会にも恵まれました。
桐朋学園大学とアンサンブルの世界
桐朋学園大学受験では、二宮裕子先生の絶大なサポートをいただき、無事合格。高校時代は2週間に1度東京までレッスンに通い、試験前には先生宅に泊まり込み、朝から夜までレッスン漬け。受験期に3人の門下生で過ごした"合宿"のような日々は、かけがえのない思い出です。
桐朋学園大学に入学すると、気づけば管楽器、特にクラリネットの伴奏の日々。ピアノのレッスンに加え、クラリネット、作曲、ヴァイオリン、チェロの先生から音楽のすべてを学びました。「芸術とは何か」という問いを投げかけてくださった管楽器の先生のお言葉は、今も私の心に宿題として残っています。ハーモニーの基礎を身体に染み込むまで深く教えていただき、多くの一流音楽家の生き方を間近に感じられる貴重な時間でした。
留学への思いと母校での活動
留学を視野にドイツやフランスを訪れ進路を探す日々。その頃、世界的ピアニスト マリア・ジョアン・ピリス女史と出会い、彼女のマスタークラスやレッスンを受講しました。彼女のレッスンを常に望みながらも、日本での演奏活動が充実していた私は、その恵まれた環境で活動を続けることを選びました。
その数か月後、母校桐朋学園の嘱託演奏員に就任。さらに多くの舞台に立つ日々が始まりました。
PTNA特級にてファイナリスト
PTNAピアノコンペティションでは、C級から全国大会に出場し、E級で本選1位、デュオ上級では全国1位を受賞。大学卒業の年に久しぶりに受けた最初で最後の『特級』では、ここでは書けない秘密の出来事もあり(笑)、入賞は逃しましたが、その頃アンサンブル中心だった私は、コンクールという「孤独に自分と向き合う貴重な夏」を過ごしました。
国際的な演奏活動
もののけ姫を歌う米良美一さんとのツアー
数多くの演奏活動の中で、私の核となったのはバンベルク交響楽団(バーバラ・ボーデ、ヨハネス・パイツほか)のメンバーとのツアーです。ヨーロッパの頂点に立つオーケストラのメンバーと、ドイツをはじめ欧州各国で共に音楽を作り上げた時間は格別で、数年後には日本ツアーも実現。鹿児島や長野の温泉を巡り、トッパンホールやみやまコンセールなど、最高の響きのホールで演奏した日々は忘れられません。
同じ頃、『もののけ姫』で一世を風靡したカウンターテナー・米良美一さんとの共演もありました。年3回の大きなツアーで長期間共に過ごし、満席の大ホールで二人きりのステージに立つ緊張感と感動を経験。彼の歌はステージ上の私まで涙を流すほど特別な力を持っています。長年にわたり彼と共に日本全国のホールで演奏できたことは、私の大きな財産です。
ツアーの合間には、ソリストとして九州交響楽団とベートーヴェンの協奏曲を共演、国際交流基金の招聘によるトリオでローマ・カイロ・ブリュッセルでの演奏、パリでフセイン・セルメット先生のレッスンを度々受講。またマレーシア・タイ・インドでの公演など、国際的な活動を重ねました。
新たな探究と多彩な表現
この時期、チェンバロやバロックダンスにも興味を持ち、学びを深めました。チェンバロは『東京オペラシティーB→C』シリーズでも披露し、歴史的奏法や舞曲のリズム感を体得。演奏や指導に新たな色彩と深みが加わりました。
ソロコンサートをはじめ『松岡美絵室内楽シリーズ』を開催、CD録音やNHKラジオ収録など、多彩な活動を続けています。
指導者としての歩み
大学生の頃から生徒さんに恵まれ、演奏活動と並行してレッスンを続けてきました。ツアーの際には日程調整をお願いすることもありましたが、大きな支障なく継続。
結婚後、子育て期間中はツアーやコンサート活動を控え、娘の成長と共にリトミック資格を複数取得し、幼児教育の知見を深めました。
生徒さんの中には音楽家を目指す方も多く、桐朋学園をはじめ国立音楽大学、東京音楽大学、東京藝術大学附属高校、ウィーン市立音楽芸術大学などに進学。PTNAピアノコンペティションでは全国大会出場をはじめ、毎年本選入賞の生徒さんを輩出。JPTAピアノオーディションでも全国大会出場者を送り出しています。
現在は母校・桐朋学園へ生徒を送り出す中でご縁をいただき、自宅レッスンに加え『桐朋学園大学付属子供のための音楽教室』でも後進の指導にあたっています。
これから
幼少期から世界の舞台まで、数えきれない出会いと学びに支えられて歩んできた音楽人生。
これからも、音楽の感動と喜びを次世代へ伝え、生徒一人ひとりの人生に寄り添い続けたいと思います。
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